
現在の相撲界は19年振りに誕生した日本人横綱である稀勢の里を始めとしイケメン力士効果もあり女性に人気の高いスポーツとなって来ました。日本の国技でなかなか成果が出せない時代が続き苦労した甲斐も有りファンには嬉しいでしょうね。そんな大いに盛り上がる相撲界の一方で稀勢の里の様に強かったが惜しくも横綱になれなかった史上最強の大関が魁皇です。魁皇が横綱になれなかった理由はいったい何なのか振り返ってみたいと思います。
魁皇(かいおう)
出典:Wikipedia
四股名:魁皇 博之(かいおう ひろゆき)
本名:古賀 博之(こが ひろゆき)
愛称:キンタ、ゴリライモ、会長
生年月日:1972年7月24日(44歳)
出身:福岡県直方市
身長:185cm
最高位:東大関
引退後:浅香山親方
魁皇なつかしいですね。
現役時代は握力だけでリンゴを握りつぶしたりしてて怖かったです。
それにしてもちょっと愛称が可哀相ですね。
しかし強かったことに間違いは有りませんので通算成績を見てみましょう。
魁皇の通算成績は?
史上最強の大関と言われた魁皇のこれまでの成績を振り返って見ましょう。
『生涯戦歴』1047勝700敗158休(140場所)
『幕内戦歴』879勝581敗141休(107場所)
『優勝回数』幕内最高優勝5回、幕下優勝1回、三段目優勝1回
『賞』殊勲賞10回、敢闘賞5回
数値だけ見てもまだピンとこない人もいると思うので通算1,047勝という数値に注目して見て下さい。
実は過去に通算1,000勝を達成した人は魁皇を含め『千代の富士』『白鵬』の計3名です。
白鵬に至ってはまだ現役続行中なので歴代最多となる可能性が高くなってきました。
ではなぜそんな強い男が頂点である横綱になれなかったのかに迫ってみます。
横綱になれなかった理由
出典:https://blogs.yahoo.co.jp/gorityan510/64593542.html
先ずは横綱になる為の条件というのを確認して見ましょう。
『2場所連続優勝又はそれに準ずる成績』
これが日本相撲協会が定める条件となっています。
つまり大関後は2場所連続優勝果たせば文句なしで昇進という事になります。
しかし先日横綱昇進をした稀勢の里を振り返って見ましょう。
「2016年」
初場所 9勝6敗
春場所 13勝2敗
夏場所 13勝2敗
名古屋場所 12勝3敗
秋場所 10勝5敗
九州場所 12勝3敗
2016年は通算69勝21敗で優勝はありませんでしたが年間最多勝利数。
2017年の初場所で14勝1敗の成績を残し幕内初優勝すると横綱昇進が決まりました。
ん?稀勢の里は優勝1回で横綱?
なんかおかしくね!
魁皇は過去に優勝を5回も果たして横綱になれなかったのに・・。
これにはたまらず物言いです(笑)
しかしその差に泣いたのが横綱昇進の条件です。
もう一度分かりやすく整理するとこうなります。
『稀勢の里』・・・2016年最多勝利+2017年初場所優勝
結果 基準クリアで横綱
『魁皇』・・・優勝のみ
結果 基準クリアならず
魁皇は2001年に年間で2度優勝を果たして居ましたが怪我の影響から他の成績が悪かった為、横綱昇進が見送りとなっています。
2004年九州場所
魁皇にとってみれば人生でターニングポイントとなったのがおそらく2004年の九州場所だったのでは無いでしょうか?
前場所の秋場所では見事優勝を果たし自身三度目となる綱取りに挑戦したのですが惜しくも準優勝という形で幕を閉じました。
千秋楽では当時の横綱であった朝青龍を破った一番でした。
横綱に昇進してもおかしく無い条件ではありましたが協会の求める基準では無いと残酷なルールの前に涙しました。
2004年の成績は奇しくも稀勢の里が年間最多勝利数を飾った時と同じでした。
【魁皇2004年の成績】
69勝21敗(内優勝1回)
2005年以降は怪我と戦いながらも必死に大関の座を守り史上最強の大関として活躍しました。
まとめ
魁皇と稀勢の里これまでの実績だけを比べるなら魁皇が横綱なのかも知れません。
しかし相撲の神様は最後まで微笑んでくれませんでした。
ちょっと切ない魁皇の横綱挑戦はこれからも相撲界の歴史として語り継がれていくでしょう。
以上参考にして見て下さい。