
皆さんはサッカー「中田英寿」と聞くと何を思い出しますか?「アトランタ五輪」「フランスW杯」「セリエAデビュー」「ASローマ」「キラーパス」「マスコミ嫌い」「旅人」色々なイメージや思い出があると思いますがいつだって彼は私たちに「世界の中田」という印象を残してきました。そしてサッカー選手として現役を引退した後、又サッカー関係の仕事に携わろうとしています。なんと今度は「FIFA」です。FIFAと中田英寿についてもう少し詳しく迫って見たいと思います。
中田英寿とは?
中田と言えば山梨県韮崎高校時代からプロのスカウト注目の的であり当時のサッカーJリーグ(12チーム)11チームからオファーがある程、期待の超逸材だったのです。
サッカーの天才に夢中になる大人たちが熱い視線を送って居た訳ですね!
それからいくつかのプロチームの練習に参加しベルマーレ平塚を選んだそうです。この頃から一流のアストリーとしてしっかりとした性格が表れていますね。
高校時代から既に海外も視野に入れておりイタリア語の習得をしていました。(後にイタリアに移籍した際は2ヶ月で通訳なしで会話ができる様になっている)
現在ではイタリア語の他にスペイン語、ポルトガル語、フランス語、ロシア語で挨拶が出来るほどの語学力があるんです。
サッカーだけでは無く頭脳も秀才なんですね。
現役時代(プロ選手)
出典:http://supportalfootball.net
現役時代の中田選手は主にトップ下(司令塔)と言われるMFを務めていました。その時のイメージは「力強いドリブル」「鋭いスルーパス」でした。
特にキラーパスと呼ばれる鋭いパスには見方が追い付けないと言ったシーンが数多く見受けられましたね。味方選手でさえこんな狭いスペースにはパスが届かないだろうと思っていたのかも知れません。それほど正確で速いパスは一流にふさわしい物だったのです。
又、非常に体幹が強くて海外の大柄な選手に当たり負けしない身体が凄かったですね。派手に転んだり大きな故障が無かった事はサッカー選手としての選手生命を支える大きな役割を果たしていました。
【選手時代に所属していたクラブチーム】
- 1986年 – 1988年
北新サッカースポーツ少年団
- 1989年 – 1991年
甲府北中学校
- 1992年 – 1995年
山梨県立韮崎高等学校
- 1995年2月 – 1998年6月
ベルマーレ平塚 (現 湘南ベルマーレ)
- 1998年7月 – 2000年1月
ACペルージャ
- 2000年1月 – 2001年6月
ASローマ
- 2001年7月 – 2003年12月
ACパルマ (現 パルマFC)
- 2004年1月 – 2004年6月
ボローニャ (期限付き移籍)
- 2004年7月 – 2005年7月
ACFフィオレンティーナ
- 2005年8月 – 2006年6月
ボルトン・ワンダラーズ (期限付き移籍)
引用元:Wikipediaより
やはりサッカー選手としての中田はイタリアはセリアA時代の印象が強いですね。
そして数々の賞も受賞しています。
- Jリーグベストイレブン(1997年)
- 日本年間最優秀選手賞(1997年)
- アジア年間最優秀選手賞:2回(1997年-1998年)
- AFC All Star Team:3回(1997年-1999年)
- FIFAコンフェデレーションズカップ2001ベストイレブン(2001年)
- FIFAコンフェデレーションズカップ2001ブロンズボール(2001年)
- FIFA 100(2004年)
- Jクロニクルベスト ベストイレブン(2013年)
引用元:Wikipediaより
中田選手は2006年わずか29歳という若さで現役選手としての選手生活に幕を閉じました。
まだまだ現役でやれそうな姿は引退を惜しむ声も多く上がっていましたね。
私もまだまだやって欲しかった人物です。
引退後
引退後は数々の事業を立ち上げて青年実業家として活動しています。
世界各地に飛び回りサッカーに関するイベント出演はもちろんですが災害地への支援金の寄付活動にも積極的に参加しています。
FIFAとは?
スイスのチューリッヒに本部を置く国際サッカー連盟です。(競技団体としては世界最大)
世界6つの大陸連盟を傘下に持ちます。
アジアサッカー連盟(AFC)
アフリカサッカー連盟(CAF)
欧州サッカー連盟(UEFA)
オセアニアサッカー連盟(OFC)
北中米カリブ海サッカー連盟(CONCACAF)
南米サッカー連盟(CONMEBOL)
各国のサッカー協会は大陸別の連盟に加盟しているという事になります。
日本はアジアサッカー連盟(AFC)という事になりますね。
つまりFIFAは国際サッカーの中心的存在になります。
中田の役割
実は2007年に中田さんはサッカーを通じた社会貢献活動を続けていることを高く評価され世界で16人目となるFIFA親善大使への就任しています。
そして2017年の今度はFIFAの諮問機関「IFAB」の諮問委員に任命されました。
でもそれって何なの?って思いますよね。
IFABとはW杯、各国リーグなどのルール、競技規則を決める組織なんです。
FIFAの新会長ジャンニ・インファンティノが選手の意見を多く取り入れたいとの事で他には元フランス代表MFクリスティアン・カランブー、元オランダ代表FWマルコ・ファンバステンも選ばれています。
サッカー通であれば当然知っている凄い人物たちでビックリしました!
つまり中田さんはより具体的にW杯に携わる事になります。世界の役員に任命された事は日本人初となるそうです。
これまでの功績が認められた訳ですから改めて「世界の中田」なんだなって思いますね。
2026年のW杯
現在IFABを含むサッカー界は2026年大会のW杯出場国枠拡大(32→40または48)を検討しています。
中田さんもこれに同意しているそうです。
2026年には久保建英くんあたりが日本代表の中心になっていると予想されますのでより楽しみな大会になりそうですね。
まとめ
現役を引退し表舞台から去った後でも裏方でしっかりと結果を残す姿は全く衰えていませんでしたね。
これからも我々は「世界の中田」に驚かせられそうです。
いつか男子の日本サッカーが頂点に立つ日が来るように応援して行きたいですね。
以上参考にしてみて下さい。